歌と踊りの祭典

6月末から7月の初めの週にかけて、リガでは歌と踊りの祭典が行われました。このお祭りは5年に1度開かれるみたいです、この年にラトビアにいる私、ラッキー!

7月3日からは旅行なのであまりこのお祭りを堪能することはできませんでしたが、バスに飛び乗って(と言っても20分、ちっか笑)、オープニングセレモニーと、歌のイベントをいくつか見て来ました。

下の写真はオープニングパレードの時のものです。
各団体がそれぞれの衣装を身にまとい、シンボルを持って行進します。


最初の感想は、衣装かわいい!感想うすっ!って思うじゃないですか、でも本当にきゃわだった!各団体が違う衣装なんだけど、どれもかわいいんです!これと花冠が合わさってさらにきゃわ度アップ!



このオープニングパレードを見に行って、このお祭りが、歌やダンスがラトビア人にとっていかに大切な文化であるか、この前の夏至祭に加えて、さらに実感できました。  

このパレードの前にラトビアのえらい人達のスピーチがあって、というかこれもラトビアにとって大事なイベントだということを表していると思う。その人達のスピーチはラトビア語だったから何言ってるかわからなかったけど、"es esmu Latvija" ってだけは私もわかりました。これは「私はラトビア人だ」という意味です(ラトビア語の授業の成果がついに陽の目を見た笑)。そのあと大きな拍手が起こってました。ああ、きっとこの歌と踊りの祭典はラトビア人が自分達がラトビア人であるということを感じれる大切なイベントなんだなあと思いました(*️⃣必ずしもラトビア人全員にとって大切なイベントとはいかないみたいだけど、参加者や多くの人にとっては大切みたい)。お年寄りの方で目に涙を浮かべてる人もちらほら。きっとソ連に支配されてた時のこととか、ラトビアが歩んで来た歴史に思いを馳せてたように見えました(目にゴミが入っただけだったらどうしよう)。ラトビアは1991年にソ連から独立したので(けっこう最近ですよね)、ソ連時代を経験してきたラトビアの人は多いはず。


あとは、この日カフェで友達を待っていたんですけど、衣装を来た若い女性と指導者らしき女性とスーツの男性が入って来ました。何やら、アメリカ人の男性が歌と踊りの祭典の参加者にインタビューをしているところみたいでした。面白そう、と思ったので耳をすませちゃいました、完全に盗み聞きですねごめんなさい笑 雑音があってあんまり聞こえなかったけど、インタビュアーの人は歌と踊りの祭典とソ連支配のこととかラトビア人のidentityとかがどう結びあっているかなどを質問していました。指導者らしき人はたぶんソ連時代経験者なんでしょうね、singing and dancing were sometimes only the way of expressionて言ってました。
あと、多くのfolk song がラトビア人にとってはanthem みたいなものなんだって(参加者だからおおごとに言ってるのかもだけど)。確かに夏至祭でもみんな色んな歌を歌ってたもんな〜〜。ラトビア人は何個か学校で歌を習うみたい。

私は留学に来てからidentity について考えさせられる機会が多くなったので、ラトビア人にラトカルチャーについてよく質問するんですけど、そうするとけっこう日本にはそういう歌とかイベントとかないの〜〜って、聞かれたりします。そう考えてみると、確かに日本て自分たちが日本人だ、って強く意識する機会ってあんまりないのかもしれないですね(みなさん、あります?あったらごめんなさいね)。建国記念日とかお正月とか、正直ホリデーって感じですもんね。きっと歴史的なことも大いに関係してるのでしょうが。

歩んできた歴史もカルチャーも違うから、どっちがいいとかじゃないけど、素直に自分の国を意識する機会があるって素敵なことだと感じました。そういうイベントを自分の目で見れて良かったです!

おしまい!









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